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不定期連載 さゆみんとわたし 第6回「ピッチがとれなくても」

シャバダバ ドゥ〜」を聴くといつでも、涙があふれてくるのはなぜだろう。

全力待機して聴いた、こんうさピーでの初オンエアーのときも。道重さんの姿が見えなくなって、約4カ月が経った今も。

 

卒業公演の翌週に行ったタワレコで、ちょうど武藤彩未さんのインストアライブが行われていた。

まっすぐで音程のとれた歌唱、身体の小ささを感じさせない存在感、誰にでも親しみやすいMC、どこを取っても100点満点のアイドルだった。

 

その光景に突如思い知らされた現実は、とてもつらく苦しいものだった。

わたしが一番見たいのは、音程がとれなくて、ダンスも苦手(自称)で、アイドルらしからぬブラックユーモアでめっちゃ笑いをとるあの人に他ならないということ。

失われたものの大きさに、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

藤本美貴さんがモーニング娘。について話していたことが好きでよく思い出す。

「きれいな◯(まる)にはなれないし、ならなくていいんですよ。デコボコでもなんとなく◯(まる)に見えればいいんです(笑)でないと、いろんなコが集まってる意味がないですもん。」(『モーニングチャンネル デジタルフォトヒストリー2001-2005』)

わたしもそんな風に周りの人を、自分自身を受け入れられたらいいなと思う。

 

つんくさんの「ええんちゃうかなぁ。」という受容から始まった道重さんの12年間は、まさに自己受容の物語といえるのかもしれない。

 「よしっ、今日も可愛いぞ♡」自分を受け入れる術をすでに身につけていた道重さんは、モーニング娘。に加入して人生初の"挫折"に出会う。

歌唱力について初めて指摘され、「自分は全て揃った人間だからオーディションに受かったんだ」という認識が、ただの勘違いだったことを知る。

どうしたら印象を消して悪目立ちしないかということばかりに懸命だったころ、ハワイツアーの写真撮影のコーナーで何名かに「うさちゃんピースしてください」と言われ「自分のことを見てくれている人がいるんだ」ということに気がついた。

 

舞台『シンデレラTheミュージカル』で同期や後輩が主要な配役につく中、セリフがなくフライングで宙を舞う妖精役になり、やり場のないその思いをラジオでさんまさんに打ち明けると「お前は蓑虫か!」と笑われ、マイナスなこともプラスに変えられるということを、それを機に教わった。

(道重さんのお姉さんのモットー「人生はギャグだ」にも通じる。)

 次期リーダーと囁かれ、自信もなく人知れず不安とプレッシャーに悩まされていたころには、同期で大の親友の亀井絵里さんに「さゆはさゆのままでいい」「間違った。さゆはさゆのまま"が"いい」という言葉をもらった。

 このまま自分らしく物語を終えることもできたんだと思うけれど、道重さんが選んだのは、切なさと、大きな愛にあふれた最終章だった。

 念願のリーダーに就任し、大好きなモーニング娘。のために何ができるかを考えた末に導かれたのは「道重らしくしてたら、リーダーなんて務まらない」という結論だった。

 たくさんの人に支えられ、やっと手に入れた「道重らしさ」を抑え、リーダーとしての役割に全てを捧げることを選んだ。

 けれど、そこまでを含めての「道重らしさ」だったから、らしくない瞬間は12年間で一瞬たりとも無かったんじゃないかな、と新規ながら思ったりする。

 

 ほんとうの「道重らしさ」にたどり着くまでの物語。

それを温かく見守り、愛しつづけた人たちの物語。

 その宝物全部が「シャバダバ ドゥ〜」には詰まっているから、わたしは涙があふれてしまうんだろう。

ってことにしておこう。

 

(2015/4/12)