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不定期連載 さゆみんとわたし 第14回 「シャボン玉は弾けない」

思い立って、部屋に飾ってあった『シャバダバ ドゥ〜』のポスターを外してみると、予想に反して妙に落ち着いた気持ちになりました。

 
道重さんへの思いが、今もゆるぎなく自分のなかにあるということを確認できた気がして。
何もない壁さえ、道重さんのいない空白を表しているようで愛おしく思えてきます。
 
そこでふと気がつきました。
わたしが好きなのは道重さんそのものではなく、道重さんのことを考えているときの自分の気持ちなんだと。
宇部だってそう。宇部そのものが好きなんじゃなく、宇部について考えているときに、自分の心に浮かび上がる感情が好きなんだと。
 
他にも好きな人やものをどんどん思い浮かべると、かわいい、楽しい、うれしい、といった感情がどんどん生まれ、そういうことか!とストンと腑に落ちました。
なぜ道重さんを好きなのかという答えが見つからなかったのは、ずっと見当違いな場所をさがしていたら。答えは外ではなく、内側にあったのです。
 
世の中には言葉という型があり、人は言葉を覚え始めるとともに、ぐにゃぐにゃとした感情をその型へ当てはめていくようになります。正体が分からないものも、知っている形にすれば安心できます。
「好き」という言葉もそう。あぁこれは好きだな、と使いなれた型へ入れてしまうと、大抵それ以上の意味は考えなくなってしまいます。
けれど、道重さんに対する「好き」は、わたしの持っている型には収まりきらないものでした。
なので、わたしは型を外し、そのぐにゃぐにゃと直接向き合うようになりました。
 
シャボン玉はパチンと弾けて無くなるけれど、それを好きな気持ちは無くならない。
なぜなら、好きなのはシャボン玉そのものではなく、シャボン玉を吹くことや、そこに映る景色を見て生まれる感情だから。
 
ぐにゃぐにゃの正体は今も分かりません。
けれど、そこに向き合うこと自体を、わたしは好きなんだと思います。
 
 
 
 
 
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