山木さんとわたし

「どんなこれからも応援してます。」

「がんばるね、ありがとう。」

お見送りを終え、物販に並び写真を買った後もしばらく手が震えていた。1枚1枚香水をかけてくれたムエット(この紙がそういう名だとさっき教わった。)は、気がつくと手の中にあった。わなわなと、山木さんに言われたとおり「財布とか狭いところ」にしまった。家に帰ってから、Twitterで他の人がされていたようにジップロックに移した。

 

同じさゆヲタとして山木さんのことは自ずと知っていたけれど、本格的にマークし始めたのは、修学旅行先の京都で亀井絵里さんの聖地巡礼をしたというエピソードを耳にした頃だったと思う。やべぇ子がいる、と。(もちろんいい意味で。) それからカントリー・ガールズは「山木さんのとこ」と思うようになった。

2015年当時、大いに「さゆロス」をこじらしていたわたしにとって、7月13日には共に生誕を祝い、毎日変わらないブログにアクセスし、ことあるごとに道重さんの名を挙げてくれる山木さんは、大きな心の拠り所だった。翌2016年、突如更新されはじめたブログに隠された暗号に、一緒になってワクワクできたのも楽しかった。その一方でカントリー・ガールズは、嗣永さんの卒業、そしてハロプロ新体制と、大きな転換期を迎えようとしていた。彼女たちのこれからを見守っていきたいと思いはじめたのは、そこに親愛なる同志、山木さんがいたからだと思う。


思い起こせば、浅草寺のみくじ、六本木ミッドタウンのクリスマスツリー、京都のあぶり餅屋、鴨川デルタの亀石と、面影の残る彼の地へとわたしを誘ってくれたのも、山木さんの行動力だった。推しとは違う、もっと気の知れた距離感で山木さんはどんな時もそばに在り続けてくれた。その事に、卒業が決まった今はじめて気がついた。大好きな友だちが引っ越してしまうような、そんな気持ちの揺れかたがしている。


バースデーイベントの客席に着いたわたしは、ここにいてもいいんだろうか、という居たたまれなさでいっぱいだった。名古屋でもバースデーイベントが開催されることが知らされ、山木さんのイベントだったら絶対に楽しいだろうという信頼と、この火曜は祝日だから行けるのかという興味と、名古屋は日帰りしやすいという気軽さと、それだけでチケットをとった。ライトなファンが行ってもいいものか迷っていたけれど、「普段あまりカントリーのイベント行かないって方にも是非いらしてほしいな!」とブログにあったので、じゃあ行ってみようかと、ぴあ一般で購入した。その2週間後に、カントリー・ガールズの活動休止に関する一連のことが知らされた。

2019年10月22日。即位礼正殿の儀という歴史的な瞬間に世間の注目が集まった一日、わたしはここ名古屋で大いに会場を間違えていた。なんとか開演10分前に滑りこみ、涼しい顔でフォトスポットに並び写真を撮った。黄緑色のTシャツ、今回発売されたグレーのパーカー、バスツアーのオレンジ色のTシャツ、思い思いの服に身を包んだ人たち。仕事帰りかスーツの紳士もいたり、他の現場と比べて大人びた印象があった。(山木さんのイメージに牽引されているのかもしれない。) 

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照明が暗くなると同時に、客席にちらほらと黄緑色が灯る。ワルツのようなBGMが鳴り、袖より登場する山木さん。スッと手のひらを下から上へとあげ、皆に立つよう促す所作がどこかの国の君主のようで、服従したい衝動に駆られた。カントリー・ガールズに会える機会をあまり持ってこなかったせいか、同じ空間にいること自体がふわふわとして実感がなく、双眼鏡で覗くと22歳の山木さんは艶やかにそこに居た。

一曲ごとに自分の中での印象が変わっていき、だんだんと山木梨沙という人が分からなくなってきた。東京より少ない50分という限られた時間の中で出来るだけ多く歌を、という本人の希望でMCも台本に30秒と書かれていたり、かなりタイトな様子だった。山木さんが話している間、客席は独特な静寂に包まれていて、誰もが一字一句を聞き逃すまいとしているように感じた。「赤いフリージア」、「愛しく苦しいこの夜に」といった、さゅぇりファン垂涎ものの選曲が続く中、楽しさの奥にある喉がつかえるような寂しさが、曲が進んでもなかなか拭えなかった。

中盤にさしかかり、カントリーの活動休止と自身の卒業についての話題に。「カントリーのファンの人はほんとネガティブな人が多いから、ほっとくとすぐにネガティブな方向にいってしまう。ポジティブシンキングでいきましょう。」という言葉を聞き、この期に及んでこの人はまだファンの心配をしてくれているのか、と涙で視界がにじんだ。でも、やなみんならきっと泣かないだろうと思って、笑顔で見届けることを自分に誓った。そこで、何か憑き物が取れたように気持ちが楽になった。

特に印象深かったのは「咲き誇れ」。衣装が公開された時点から期待をしていたけど、この山木さんの歌唱を聴いて初めて歌詞が入ってきた感じがあった。演出、世界観、歌い回し、全てがぴったりだった。一刻も早くさゆヲタヲタの皆さんに届いてほしい。

気まプリも圧巻だった。わたしには愛ちゃんが、亀井さんが、ジュンジュンリンリン小春ちゃんが、見えた。一人でプラチナ期やってしまってる。どれほどこれらの曲を聴きこみ、歌い込んできたのか。ハロプロをまっすぐに大好きな気持ちに導かれてきた、一人の女の子のこれまでを思った。

そして謙遜しながらのラスト一曲。ライムグリーンに染まった「ラララのピピピ」。口に手を添え「梨沙ちゃんー!」と叫んだ。表情まで完コピしているのかな、と慌てて双眼鏡を手にしたものの肝心なポイントを見逃してしまい、わたしは何のためにここにいるのかと自己嫌悪に陥った。双眼鏡から見えた山木さんは心から楽しそうに笑っていた。客席へ手を振りながら舞台袖へと歩いて行くときにもララピピがかかっていて、道重さんのイベントに来ていたのだろうかという錯覚に陥った。

すごくさみしくて、すごく楽しくて。前に似た感情があったと思い出したのは、道重さんのモーニング娘。として最期の山口公演だった。

山木さんの教えてくれた行動力が、このララピピに立ち会わせてくれた。香水の香りはいつか消えてしまっても、時空を超える永遠の愛の形があるということを、わたしたちは知っている。山木さんもまた、そのことを体現してみせてくれた。わたくしたちは、道重一筋。

お見送りで何を伝えようと、公演の間じゅう言葉をずっと探していた。列はどんどんと進み、「最後なんで大阪から来ました!」と伝える前の男性にワシもやないかいと動揺しつつ、言葉を待ってこちらを見つめる目の前の山木さんに、思いの丈を伝えた。