不定期連載 やなみんとわたし 第1回「如雨露」

やなみんがアイドルを卒業してから、10日間が経ちました。まだ自分の中で感情がひとところに留まらず、それを言葉にすることがとてもむずかしいです。絶えず走りまわる動物をカメラに収めようとするように。ただ、今日時点でぼんやりと見えてきたものもあり、気持ちを整理するためにも書きはじめてみようと思いました。詳細をとらえた写真でなく、大まかなスケッチとして。


・植え替え

卒業コンサートの翌日、イメージとしてあったのは「植え替え」でした。これまで小さな鉢に植わっていた苗木を、広い大地に植え替えるような。もっと根を張り、大きく枝葉を伸ばしていけるように。やなみんに対する思いを、そんな風に育てていきたいと思いました。


・後悔

その後に「後悔」がやってきました。わたしはやなみんをちゃんと好きでいられただろうか?という類の、どうにもならないやつ。限られた時間で出来る限りを尽くしてきたつもりだったけど、その方向性は合っていたのだろうか。表層しか理解できてなかったのではないか。自分のエゴが勝ってしまっていたのではないか。そもそも好きとはどういうことなのか、云々。どうにもならなさ過ぎて、今会える人たち対してはそういう後悔をしたくないな、と思いました。


ハロプロのこと

道重さんの卒業後と同様、ハロプロを見てもそこに不在を見出すことしかできず、3月11日から一歩を踏み出せずにいます。もしくは、やなみん卒業という駅で降りたような。その日を迎えるしばらく前から、一旦オタクをやめてみたいという思いがありました。今の自分からオタクという要素を取り除いた時、そこに何が入ってくるのか。変身願望というより実験的な。...というのは建前で、ただ単に、やなみんの居ないハロプロという現実に立ち向かうだけの勇気が自分には足りないのかもしれません。完全に離れるというのではなく、見守りという立ち位置を目指したいです。 (やなみんを最後の恋にしたいという気持ちもありますが、道重さんの時にも確か同じようなことを思っていたので、自分が信用ならないのは誰より熟知しています...。)


・形而上の存在としてのアイドル

朝、空模様を見ながら「やなみん、おはよう。」と、心の中で手紙を書いている時があって、卒業前も今もそれは変わらず続いています。取るにならない近況などを。やなみんの目指したアイドル像が「夢」「おとぎの国」だとすれば、これが完成形なんだろうか、と思ったり。物理的に離れても精神的な距離は変わらないから、わたしも大丈夫です、と思おうと努めるも、なかなか大丈夫にはなりません。


・部屋

やなみんだらけの写真フォルダを見ると、パラレルワールドに来てしまったような激しい虚無感に襲われます。好きになる前の、やなみんがいなくても平気だった頃に戻ればいいんだと様々なアプローチ(音楽を聴く、本を読む、映画を観るなど)を試みましたが、何を以ってしても埋められない領域があり、かえって存在の大きさを認めることにしかなりませんでした。やなみんの写真や映像をみると心が他と違う動き方をするので、やなみん専用の部屋がしっかりと自分の中に形成されていることを知りました。好きになる前と後とでは心の構造が変わってしまっているから、前の状態に戻ることはできないのか、と。その部屋をやなみんの為に開けておくことしか。


・如雨露

先に何の楽しみもないと投げやりになりながら、どういう方向に気持ちを持っていけばいいのか分からないまま、生活は変わらず続いていきます。24時間では足りないと思っていた1日を今は持て余していて、寝るのがすごく早くなりました。やなみんのことを思い出すと、そこに見合うような人にならなければ、ファンとして恥じない生き方を、という気持ちになり、それが今の自分を動かしてくれています。

今わたしがしていきたいことは、やなみんがいるこの世界に如雨露で水をあげるつづけること。雨風に負けないように、やなみんがくれた苗木を大きく育てていくこと。

 

今ここに紡いだ言葉は、雲が形を変えていくようにまた明日には移ろいゆくのかもしれません。ただ、これからの自分にとって何か手がかりになることもあるかもしれないので、マイルストーンとして置いておくことにしました。いつかまた違う地点から見たときに、ありがとうと思える今でありますように。