冥土・イン・ヘヴン

生涯を終える時、いっしょに棺桶に入るものって何かなぁと時々考える。あの世まで持たせてもらいたいもの。

Nintendo Switchスプラトゥーン3、プロコン。電子機器は無理か。大気汚染。遺族もそれは残しといてくれよって感じかな。ペンギンのグッズ。(一番大事なぬいぐるみはこれからも現世で生きて欲しい。) 家族の写真、もらった手紙いくつか。推しのグッズは無くてもいいけど、チェキはどうしよう。一緒に燃やしてもらったほうがいいんかな。本も何冊か持っていきたい。これも迷う。セントジェームスの長袖。無印のメモ帳。と何か書くもの。飲み物は豆乳が好きだけど、それほどでもないか。棺桶に入れられたら豆乳も驚くかもしれない。日記も残ると恥ずかしい。捨てる?置いてていいことある?(誰に聞いてる?)

あともし曲を流してもらえるなら何がいいかも迷う。シナトラのマイ・ウェイが思い浮かんだけど、自分の人生そこまでのスケール無い。変に感動する曲も、なんか狙ったみたいで恥ずかしい。思い出の品も曲も、人にどう思われるかなという自意識が邪魔して素直に選べない。自分の葬式に及んでまでスベることを恐れる関西人の悲しい性(さが)。

と、ここまでつらつら書いてきたけど、結局あの世には何も持っていけないことに気づく。自分の葬儀でスベり散らかしても恥ずかしがれないし、だんだんと自分のことをみんなが思い出さなくなってきても寂しがれない。たぶん。

というところまで考えて、つい最近ポッドキャスト*で聞きかじった「諸法無我」という言葉に思い至る。とどのつまり自分という実体は無くて、人やものとの間柄においてしか存在できない。

「この子これ好きやったやんなぁ。」「これあったら喜ぶかな。」そう言いながら棺桶に入れてもらえるなら、それらが私なんだろう。別にそこまで好きじゃなかってんけどなぁと突っ込むことさえ出来ずに、この世を後にできたら本望だ。

 

 

ポッドキャスト*:笑い飯哲夫のサタデーナイト仏教 https://spotify.link/nX6a3k0dnIb