不定期連載 さゆみんとわたし 第8回「特別と日常」

日記を読むと、去年の今日はハロコンに行っていた。道重さんの一挙手一投足を目に焼き付けようとしていた。

次の日もハロコンに行き、同じように道重さんだけを見ていた。とても羨ましく思った。

今年はハロコンに行かなかった。もともと夏が苦手で、できることなら出かけるのは日が落ちてからにしたい。

こっちがわたしの本来で、去年が特別だったんだと気づく。

 

思えば道重さんのいた日々は、何もかもが特別だった。

狂ったように野菜ジュースを飲んだり。出演するテレビ番組をすべて録画しては編集したり。雑誌を買いあさっては解体したり。写真を買ったことも、ヲタTを着たことも初めてだった。ひとりで遠征したことも、ビジネスホテルを予約して泊まったことも、夜行で帰ってそのまま出勤したことも。

 いつの間にかそれが日常となっていたから、卒業の日を境に、また特別と日常とが入れ替わったことに8か月が経った今もまだうまくなじめない。

 

なつかしくて新しい日常には、去年には見えなかったものもたくさんある。

最近はアイドルもあまり聴かなくなったけれど、もしアイドルを好きになる前の自分に戻ったとして、それは前と同じではない。

今のわたしには、特別な日常を過ごした記憶がある。そのことはわたしを苦しませも、救いもする。

現実はリセットもセーブもできない。昔のマリオみたいに。戻ることはない。

だからこのステージがひどくつまらなくても、前に進むしかない。

どうせ進むなら、元気に歩いていきたい。ひどくつまらないことを笑えればいい。そうしてひとつずつステージをクリアして行けたら、また新しい特別と日常に、いつか出会える気がする。

 

(2015/7/26)

不定期連載 さゆみんとわたし 第7回「さゆの小部屋 PART.2」

さゆみんこんばんは!
道重さんが卒業してからちょうど半年になりましたね。
うつぶせ寝はたっぷり出来ていますか?
スープもたくさん飲めていますか?
山口にも帰れていますか?

ハロプロ新ユニットでは誰推しかなとか
’15の新曲ではどれがいちばん好きかなとか
つんくさんのこととか
聞いてみたい言葉がたくさんあります。

卒業コンサートの帰り、道重さんのいない「これから」が、うまく想像ができませんでした。
あたらしく夢中になれる誰かに出会うのか。
それとも、すっかり卒ヲタしてしまうのか。


半年経ったわたしは、新ユニットだとこぶしファクトリー小川麗奈さんが好きで、でも去年ほどの熱量で情報を追うことは少なくなり、相変わらず道重さんを大好きなままです。


大げさでなく、あれから道重さんのことを思わない日は1日もありませんでした。
ベランダから見上げる夜空にふと健康を祈ったり。そうするとなんとなく明日もがんばろうという気になれたり。
それは、何もわたしに限ったことでは無いはずです。


包み隠さずに言うと「道重さんがおらんとつまらん!」「ピンクのTシャツ着たい!!」「さゆぅううって叫びたい!!!」というのが正直なところです。
これも、決してわたしに限ったことでは無いはずです。


道重さんがずっと待っていてくれていたから、わたしは道重さんに、モーニング娘。に出会うことができました。
だから今度は、わたしが道重さんを待つ番なんだと思います。
それだけで毎日が意味をもちはじめるというのも、すごいプレゼントだなぁと思います。


道重さんと出会えたよろこびは、わたしの中で今日もすこしずつ育っています。
たとえブログが更新されなくても。
会えない日がいくら続いても。

2014年よりもちょっとはマシな自分で道重さんに再び出会うことが、当分の密かな夢です。
道重さんのあたらしい夢もいつか聞けるといいな。
それではまた。おやさゆみん

 

(2015/5/26)

不定期連載 さゆみんとわたし 第6回「ピッチがとれなくても」

シャバダバ ドゥ〜」を聴くといつでも、涙があふれてくるのはなぜだろう。

全力待機して聴いた、こんうさピーでの初オンエアーのときも。道重さんの姿が見えなくなって、約4カ月が経った今も。

 

卒業公演の翌週に行ったタワレコで、ちょうど武藤彩未さんのインストアライブが行われていた。

まっすぐで音程のとれた歌唱、身体の小ささを感じさせない存在感、誰にでも親しみやすいMC、どこを取っても100点満点のアイドルだった。

 

その光景に突如思い知らされた現実は、とてもつらく苦しいものだった。

わたしが一番見たいのは、音程がとれなくて、ダンスも苦手(自称)で、アイドルらしからぬブラックユーモアでめっちゃ笑いをとるあの人に他ならないということ。

失われたものの大きさに、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

藤本美貴さんがモーニング娘。について話していたことが好きでよく思い出す。

「きれいな◯(まる)にはなれないし、ならなくていいんですよ。デコボコでもなんとなく◯(まる)に見えればいいんです(笑)でないと、いろんなコが集まってる意味がないですもん。」(『モーニングチャンネル デジタルフォトヒストリー2001-2005』)

わたしもそんな風に周りの人を、自分自身を受け入れられたらいいなと思う。

 

つんくさんの「ええんちゃうかなぁ。」という受容から始まった道重さんの12年間は、まさに自己受容の物語といえるのかもしれない。

 「よしっ、今日も可愛いぞ♡」自分を受け入れる術をすでに身につけていた道重さんは、モーニング娘。に加入して人生初の"挫折"に出会う。

歌唱力について初めて指摘され、「自分は全て揃った人間だからオーディションに受かったんだ」という認識が、ただの勘違いだったことを知る。

どうしたら印象を消して悪目立ちしないかということばかりに懸命だったころ、ハワイツアーの写真撮影のコーナーで何名かに「うさちゃんピースしてください」と言われ「自分のことを見てくれている人がいるんだ」ということに気がついた。

 

舞台『シンデレラTheミュージカル』で同期や後輩が主要な配役につく中、セリフがなくフライングで宙を舞う妖精役になり、やり場のないその思いをラジオでさんまさんに打ち明けると「お前は蓑虫か!」と笑われ、マイナスなこともプラスに変えられるということを、それを機に教わった。

(道重さんのお姉さんのモットー「人生はギャグだ」にも通じる。)

 次期リーダーと囁かれ、自信もなく人知れず不安とプレッシャーに悩まされていたころには、同期で大の親友の亀井絵里さんに「さゆはさゆのままでいい」「間違った。さゆはさゆのまま"が"いい」という言葉をもらった。

 このまま自分らしく物語を終えることもできたんだと思うけれど、道重さんが選んだのは、切なさと、大きな愛にあふれた最終章だった。

 念願のリーダーに就任し、大好きなモーニング娘。のために何ができるかを考えた末に導かれたのは「道重らしくしてたら、リーダーなんて務まらない」という結論だった。

 たくさんの人に支えられ、やっと手に入れた「道重らしさ」を抑え、リーダーとしての役割に全てを捧げることを選んだ。

 けれど、そこまでを含めての「道重らしさ」だったから、らしくない瞬間は12年間で一瞬たりとも無かったんじゃないかな、と新規ながら思ったりする。

 

 ほんとうの「道重らしさ」にたどり着くまでの物語。

それを温かく見守り、愛しつづけた人たちの物語。

 その宝物全部が「シャバダバ ドゥ〜」には詰まっているから、わたしは涙があふれてしまうんだろう。

ってことにしておこう。

 

(2015/4/12)

不定期連載 さゆみんとわたし 第5回「聖地」

2014年4月29日。人生初めての遠征。

 家からいちばん近い大阪公演に社員旅行が重なって行けなくなり、どうせ遠出するならと思いきって山口に行ってみることにした。

 早朝に出発して、少し観光してから夜公演を観て帰ろう。

 行くと決めてからは荷づくりをしている間も予定を考えている間も、音符マークが出てるみたいに楽しかった。

 

ときわ公園の曇り空の下、それまで自分の部屋いっぱいに閉じこもっていた気持ちを、道重さんが生まれ育ったこの土地に還してあげられた気がした。好きな気持ちがすーっと空気に溶け込んで、どこまでも果てしなく広がっていくような。

 ちょうどその頃、周南市文化会館で道重さんが卒業発表をしていたことは、その次の公演で本人から聞いてはじめて知った。

 大げさかもしれないけど、ここに居合わせるためにわたしのこれまではあったんだと思った。自分の過去すべてに意味を感じられ、感謝の気持ちがあふれた。

 

 2度目は2014年11月2日。

 翌日の広島公演に行くこともできたけど、そのまま山口に残り、ふたたび常盤駅へ。それから宇部駅、下関とを巡って帰ることにした。

 地元でバスに乗ることも不慣れで緊張してしまうくらいなのに、こうして誰もいない無人駅を二度も訪れるなんて、去年のわたしからはとても想像のつかない未来だった。

 もう一度ここを訪れたのは、海を見るため。

 写真集で見た、ふるさとの潮風に吹かれる道重さんの写真がすごく好きだったから。 海を目にして感じたことは、なんとなく自分の心の中だけにしまっている。言葉にしてしまうと何かが損なわれてしまいそうで。それくらい、すべてが完璧だった。

 本数の少ない電車に乗り遅れないよう早めに駅に着き、木製のベンチに座って待つ。

 海に照り返す光。その上の空。木々。大きな飛行機。家の屋根。線路。カーブミラー。ペリカンのイラストが描かれた看板。 葉っぱがカサカサと風に揺れる音。鳥のさえずり。ときどき通り過ぎる車の走行音。

 目に映るもの、耳に聞こえるもの、ここにある何もかもが泣きそうに愛おしく、しずかであたたかなものがすべてを満たしていった。

 不思議な感覚。わたしがここで生まれ育ったわけではないのに。

 

 いつでも目を瞑ると、そこで目にした光を感じられる。音が聞こえる。

 そうすると、とても気持ちがいい。

 心のなかの、道重さんに会える場所。

 

道重さんを思う気持ちは、わたしをいろんなところへ運んでくれたけれど、ここがいちばんのお気に入り。

 

誰にも侵されることのない、わたしだけの聖地。

2014.4.29 - Doing All Write    

2014.4.29 | Flickr - Photo Sharing!

 

2014.11.2 (23/100) - Doing All Write

2014.11.2-2014.11.3 | Flickr - Photo Sharing!

 

(2015/3/26)

不定期連載 さゆみんとわたし 第4回 「さみしさの居どころ」

ハロコンに行った。
ネットでセトリを見て「Say Yeah!~もっとミラクルナイト~」を次いつ聴けるか分からないと思ったのと、Berryz工房のいる景色を見納めておきたかったから。あと、’15という現実と向き合うために。

前日に用意をしながら、この最高にイケてるピンク色のTシャツを持っていけないのは残念だなと思った。双眼鏡と、メンバーカラーのキンブレと、お守り代わりに卒コンのシリコンバンドを持っていくことにした。

 

去年の夏以来のオリックス劇場。会場内、ずらっと並ぶ物販の列。ついこの間までわたしもその中にいたのに、今日は何も買わないから所在無さでソワソワする。居場所がないというか。
席を探して階段を上っていると場内から「シャバダバ ドゥ~」のCM音源が聞こえて、さっそく心がかき乱されてしまう。もうここにいないのを確認しに来たというのに。
久しぶりのファミリー席。初めてハロコンに来た日が、ついこの間のような、遠い昔のような。
暗転して、開演。
色とりどりの光に照らされていく客席。わたしは何色を持てばいいか分からず、手首にはめたシリコンバンドの存在を時折り確かめたりした。

各グループ、新メンバーとてもいい子たちが揃っていてこれからが楽しみだと思った。
アンジュルム、曲にもグループにも勢いがあり、誰を見ていいか分からなかった。
体調不良で嗣永さんがいないのは残念だったけど、Berryzさすがの安定感。
研修生の小川さんの美しさや、℃-uteの矢島さんのしなやかな筋肉に目を奪われてしまったし、Juice=Juice佳林ちゃんのアイドルサイボーグぶりも健在だった。

’15のみんなの姿を見ると、ひさしぶりに従兄弟に会えたみたいにうれしくなった。ひな壇にいるときも元気いっぱいで、パフォーマンスはひとりひとりの覚悟が伝わってきてとても心強かった。

けれど、2時間で分かったことは「道重さんのいないさみしさを埋められるのは道重さんでしかない」という分かりきった事実だった。さみしい反面、すこしホッとした。
やっぱりあんな人どこを探してもいない。参ったな、と思った。

キンブレは、結局最後まで一度も使わなかった。
あるはずの色が、声が、姿が、ここには無くて、道重さん無しに物事が進んでいくのが当たり前な空間にうまく馴染めず、取り残された気持ちだった。

そんなわたしの何百倍も濃密に、日々その事実を突きつけられているはずの’15のメンバーは、持ちうる全てを尽くし、今一瞬を懸命に戦っていた。
未練がましくいつまでもメソメソしている自分を情けなく思った。
道重さんに出会えたわたしは、もっともっとすばらしくならないと。

 

こうして今回ハロコンに来ることは思い出を上書きするみたいで少し怖かったけど、ステージ上に道重さんのいた光景は、そんな簡単に消えてしまうようなものでは無かった。あの声は、姿は、今もちゃんとわたしの中にある。

埋められないさみしさは、無理に埋めなくてもいい。
だれかを思いつづける気持ちを、そこに住まわせてあげようと思った。

 

(2015/2/17)

不定期連載 さゆみんとわたし 第3回「おはようございます道重さん今日もかわいいですね」

道重さんのことばかり考えているうちに、道重さんがかわいいのかどうかだんだん分からなくなってきた。不思議な感覚。

きれいな曲線を描く目も、大きな耳も、なだらかな鼻も、笑うとはにかんだようになる口も、凛とした眉も、何もかも大好き。
けど、わたしがそれを「かわいい」と思っているのかどうかがなんだかよく分からなくなってきた。
豪華なドレスを着ていても「かわいいね!」というより「良かったね!」という気持ちの方が先にやってくる。

毎日見ているうちに、家族に対して抱くような気持ちに近づいてきたのかもしれない。
ただこうして、同じ今を生きられているということに、何よりもの幸せを感じる。
楽しいときも、つらいときも、いつでもできるだけ同じ感情の色でいたいなと思う。

そうか。わたしが「かわいい」と思っているのは、道重さんのものの考え方や、癖や、言葉づかいや、声や、生き方、存在そのものなんだ。

道重さんが今日もどこかで、笑顔で一日をはじめられていますように。
そう願いをこめて、今朝もあいさつをする。

 

おはようございます、道重さん今日もかわいいですね。

 

(2015/2/10)

不定期連載 さゆみんとわたし 第2回 「宝の箱」

わたしが道重さんと過ごすことができた日々は、1年半にも満たない。

初めてのコンサート、2013年秋ツアーCHANCE。
近い将来終わりが来るということを、いつも片隅に感じながら見る景色。
今日と同じ日は二度と来ない。そのかけがえのなさを、会場にいるすべての人が噛みしめているようだった。
後悔しないように、今を精一杯楽しむこと。
そのことを誰よりも理解し、体現していたのが道重さんだった。
自分のすべてをもってこの人を好きになってみよう、と思った。

それから、道重さんを思う気持ちに向き合いながら過ごす毎日がはじまった。
ちゃんと真っすぐに好きで居られているだろうか。
ファンとして恥ずかしくないように生きられているだろうか。
こんなにたくさん与えてもらって、わたしは何を、どう返していけるだろうか。
外に向かうのではなく、自分の内側へと静かに潜っていくような作業。
こんなにしんとした気持ちでだれかを思ったことは無かったし、卒業から2ヶ月経った今も、その作業はずっと続いている。


道重さんのいない日々がひどくつまらなくて、何もかも投げやりになってしまう時もある。
けれど、そのたび思い起こす。
それほどすばらしい人を好きになれたということ。
生きているかぎり、そのすばらしさをずっと感じられるということ。
わたしの人生は道重さんに出会えてほんとうによかった。
この宝物を、これからも大事にあたためていこう。
そう思うことが、今のところ唯一の「さゆロス」から抜け出す手段。

 

(2015/2/5)