不定期連載 さゆみんとわたし 第13回「おしえてこうはい!」
気が付くと道重さんと一緒に過ごせた日々と、それからの日々とが同じくらいの長さになろうとしていて、それは愛のビッグバンド(ロングバージョン)とツェッペリンのNo Quarterとが全く同じ演奏時間であるということと似ている。女子かしまし物語とIron Man、ザ☆ピ~ス!とSpace Oddityでもいい。
どちらがどうというのではなくて、同じだけの空間をどう埋めるかの違い。真っ白な画用紙に絵を描くように。道重さんの卒業がわたしにくれたものは、その画用紙なのだろうと思う。
何でも自由に描いていい。けれど、わたしには描きたいものがなかなか見つからない。
そんな毎日の中で、はじめて見えてきたこともあった。
わたしは人に何かを教えたり指示したりということが昔から苦手で、同じ壁に最近ぶち当たっている。
昨年入社した後輩社員の教育。
嫌われたくない。自信がない。学生の頃とまるで変わりのない自分を諦めてしまいそうになるたび、道重さんの言葉が励ましに来てくれた。それまでは感じ得なかった、真実味を引き連れて。
「後輩に注意をすることもあるんですけど、帰りのあいさつは、必ず後輩の顔を見て"バイバイ"って言うようにしてます。なんかモヤモヤしたまま家に帰るのはお互いイヤだと思うから。気持ちの切り替えも大事。」
「まず自分がちゃんとすること。自分ができてなければ人にとやかく言うことなんかできないんだから、まずは個々が自分の問題を解決する方が先。そうすれば結局は全体の問題も解決すると思っています。」
「後輩の魅力を引き出して周りにアピールしていけば、グループ全体のプラスになると思うんです。後輩との時間をつくって、得意分野を探してあげてください。」
「一度でわからないなら、何度でも言えばいいんです。ちゃんと説明してすれば、必ず分かってくれるときが来る。」
「先輩っていう立場だから後輩には聞きづらかったし、後輩も先輩に教えるってやりづらいんじゃないかと思ったんですね。でも自分だけのことを考えてたらできてなくてもいいかもしれないけど、グループのことを考えるとできてないとダメだなと思って、ダンスのうまい鞘師に教えてもらいに行ったんです。そしたら鞘師も何ごともなく、「あ、ここはこうですよ」って教えてくれて(笑)そういう関係性がすごくいいなと思って。」
素直にそう言えること。そこに至るまでの道のり。
「おしえてこうはい!」という言葉の尊さを、やっと理解できた。
こういった、ものごとを前より少しは理解できるだけの経験が、白紙の毎日の中にも蓄積されていたということなのだろうか。
道重さんがくれたものは、お日さまのように今日も降り注いでいる。
わたしはその光を見たくて、何も描かないままでいるかもしれない。
(2016/2/16)
不定期連載 さゆみんとわたし 第12回「ふるさと」
無意識に、山口への旅程を頭の中でなぞっているときがある。
新大阪で駅弁とお茶を買い、亀井さんのハロカバを聴きながら車窓を飛んでいく景色を眺め、新山口で降り、宇部線に乗り換える。
黄色い電車が見えるとワクワクして足早になる。
重い扉を手動で引き開けると、発車待ちまでの長い静寂に包まれる。学生たち。会社勤めの人。手土産を持った人。この土地で生まれ、生活を営む人たちの人生を勝手に想像する。
そうこうしているうちに常盤駅へ。
きらきら光る海。待合室の古い木の椅子。ペリカンの描かれた看板。カーブミラー。駅前に並ぶ自転車。
そこからは、記憶を常盤公園に飛ばしたり、常盤海水浴場(って言うらしい、あの砂浜。)に飛ばしたり。フジグランや、琴崎八幡宮。
昨年11月、ど平日に恐る恐る休暇を取り、3度目の山口へ出かけた。
この日は初心に帰るつもりで二十歳に買ったNikonのFM10を携えて行くことにし、そのおかげで、行きのコンビニで慌ててボタン電池を買い求めたり、雨の中で震えながらフィルム交換をしたり、散々な目にあった。
写真の仕上がりも散々だったけど、1枚を撮ることに慎重になったり、現像が終わるのを時間をつぶしながら楽しみに待ったり、ということを久しぶりに感じられた。
アルバムは手に取りやすいよう枕元の本棚に置いていて、寝る前に気が向いては見返したりしている。最近はスマホやデジカメで写真を撮ってもプリントすることが皆無に等しかったので、モノとしてそばにあることに新鮮な親しみを覚え、以前に山口を訪れたときの写真もアルバムを作ることにした。
また今夜も、記憶の中で里帰りをしよう。
(2016/2/12)
不定期連載 さゆみんとわたし 第11回「My Days For You」
今日は曇り空で出かけるのも億劫になったので、さゆみんのバスツアーDVDを見ていました。去年買ったものの、何となく見ないままでいるものがたくさんあり、このDVDもそのうちの一つです。
お母さんからの手紙にぼろぼろ涙を流し、お見送りのためにトランポリンみたいに跳びはねて大きく手を振るさゆみんを見て、みんなのことを最大限に愛してくれたから、みんなはさゆみんのことが大好きなんだと思いました。
人は、人に備わっているそもそもの素質は、こんなふうに誰かを好きでいたり、心休まる時間を過ごしたり、やさしくしたり、そういったことなんだと思いました。
さゆみんが卒業してからのこの1年で、わたしがさゆみんを思う気持ちは、より深い色合いになったように感じます。
秋になって、木の葉が色づくように。
いつか冬が来て、その葉は枯れ落ちてしまうのかもしれません。
けれど、その葉が今度は暖かな土となって、新しい芽を息吹かせるためにきっと力を貸してくれるだろうと、そんな気がしています。
ダンゴムシが岩かげに隠れるような、ペリカンが空を自由に飛び回るような自然さで、さゆみんを思う気持ちが、これからもわたしのそばにありますように。
そんなたくさんのささやかな祈りが、さゆみんの歩く道を、やわらかく照らしつづけてくれますように。
不定期連載 さゆみんとわたし 第10回「GIVE YOU MORE LOVE」
「さゆロス」という言葉が心に浮かぶたび、わたしは何も失ってなんかないな、と思う。
いくら活動を休止していたって、道重さんの存在は相変わらずわたしの中で圧倒的に大きく、尊く、かわいい。
たくさんのやさしさや、楽しさを、与えつづけてくれている。
そのことが、わずかでもいいから本人に届くといいなと思う。
1年前のチェキのとき、伝えたいことをたくさん下書きして言えたのはたった一言だったけど、その言葉通りの今になっている自分を少し誇らしく思える。人から見るとくだらないことかもしれないけど、道重さんを好きなことは、わたしにとってお守りみたいなものなんだと思う。
信じられる確かなもの。
道重さんが元気で、これからも勝手に好きでいさせてもらえるなら、わたしはそれだけですごくうれしい。
恩返しをするには時間がどれだけあっても足りないから、今はそうするのにちょうどいい期間なんだと思おう。
それが、さみしさをまぎらすための言い訳だとしても。
(2015/10/26)
不定期連載 さゆみんとわたし 第9回「SUPER ULTRA HYPER SAYUMI TIME」
今日みたいに空が曇った日には、道重さんのことを思い出す。
卒業を発表した日も、モーニング娘。として最後の凱旋公演も、卒業の日も、雨まじりの湿った空気だった。
だからわたしは曇りが前より好きになった。
ほかにもたくさんある。
ピンク色が好きになった。
うさぎも。山口も。
あっさりショコラも。
明太子スパゲッティも。そんなに頻繁には食べないけど。
とっくに卒業していた亀井さんのことも。
のどぬ~るスプレーを見ると拝みたくなるし、ダンゴムシを愛おしく思えるようになったり、家族のことももっと大事に思えるようになった。
だからわたしは世の中が前より好きになった。
いいことがあった時も、つらいことがあった時も、道重さんのことを思い出す。
そうすると、さみしい気持ちがしたり、がんばろうと思えたりする。
わたしは今もSuper Ultra Hyper Sayumi Timeの中を生きている。
だからわたしは生きることが前より好きになった。
(2015/9/26)