写真語りたいだけのブログ

このところの道重さんは、早起きと、未公開の写真を探したり組み合わせたりしてブログに載せることがお気に入りのようです。

 

さぁ今日も働こう、という時間帯にブログの更新を知らせるメールが届き、すぐ見たい気持ちを抑えてこっそりタイトルを確認し、お昼休みにやっとリンクを開きブログを読む、という楽しみを日々与えてもらっています。

 

なんてかわいいんだろう!と新鮮な驚きを覚えることは毎度のことですが、今日は特に、1枚の写真に深く感銘を受けました。

 

f:id:iixviiiv:20170605210630j:plain

写真載せたいだけのブログ|道重さゆみオフィシャルブログ「サユミンランドール」Powered by Ameba

 

 本人曰く「ボッケボケだったけど、
なんかポーズ謎めいてたから、載せてみた(笑)」という写真。

 

ちょっとピンぼけ。

そう、ロバート・キャパです。

f:id:iixviiiv:20170605211446j:image

 

どんなに深くまできれいにピントの合った写真でも、これほどの説得力をもつことはできなかったでしょう。技術では表現しきれないその場の空気が、ピンぼけによって切り取られています。

それは歌にも通じるものかもしれません。ピッチがとれなくても、いや、とれていないからこそ、心に響く歌があるということ。

 

もう一度道重さんの写真に戻ってみると、よく知っている人でないと、これが誰なのかさえ分からないかもしれません。この1枚に映し出されているのは「道重さゆみ」というより、その「たたずまい」なんだと思いました。

女の子(よく見えんけど間違いなくめっちゃかわいい)が、なんか不思議なポーズをとっている。何をしているのか。これから何をしようとしているのか。

 

受け手が自由に完成させることができる遊びや余白が面白い1枚だと思いました。

 

 

これに似たことを、つい最近のあや著にも感じました。

f:id:iixviiiv:20170605214247j:image

KANA|アンジュルム 和田彩花オフィシャルブログ「あや著」Powered by Ameba

Twitterのタイムラインにこの写真を見かけたとき、ミニチュアダックスか何かがじゃれ合っているのかと思いました。

あやちょの写真は一見して何が写っているのか分からないものが多く、気になってついリンクをクリックしてしまいます。

どれもアンジュルムのわちゃわちゃ感が溢れていて、それをいい写真と思える感性と、普通ならボツになりそうなそれらをファンに見せてくれる無防備さがとても好きです。ピントの合った写真なら幾らでも事務所が撮ってくれるから、ブログでは素の状態を見せてもらえると、ファンってうれしいんじゃないでしょうか。

 

ピンぼけとは、互いの関係性によって完成される芸術。

ファンとアイドルの関係もそうあれたら、状態として美しいなと思います。

道重さゆみ『SAYUMINGLANDOLL〜再生〜オリジナルサウンドトラック』全曲レビュー

1.エウロパ〜むかしむかし[Reading]

自分の部屋が道重さんで満たされていく。夢にも見なかったような日々の中にいる。

 

2.団長ガナシのドール箱[Inst]
光が見える。うつくしい夢を思い出すように。

 

3.再生〜わたしはここにいるわ〜
何があってもこれから先、わたしの人生からこの人が奪われませんように。

 

4.ちょっと逢えないくらいで
そうそう、このワクワク。あの日コットンクラブで感じた心の動きをそのままなぞっているような感覚。なんて恵まれてるんだろう。いつまでもさゆちゃんが楽しく歌って踊れる世界であってほしい。

 

5.ドール見習いの日常[Inst]
固唾を飲んで見守る気持ち。ハラハラ。ドキドキ。漫画みたいな擬態語しか出てこない自分が可笑しい。はぁ、早く会いたいなぁ...。

 

6.miniトート逃げる[inst]
顔文字で表すと( ´◡` )←こういう顔になる。遊びまわる孫をかわいいなぁって見守るような。
さゆちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんってこういう気持ちだったのかな。

 

7.ラララのピピピ
きゃー!そう、ぶちアガったよね、ここ!ガンッ!て体温上がる感覚。
この人のことやっぱり大好きやなぁって、言葉でも数値でも表しきれない、見えないあたたかい何かに満たされる、溢れだす。

 

8.カワイイエディットパーティ
可愛いものへのこだわりの強さ、オタク気質、道重さゆみの全てが詰め込まれたような曲。ぜんぶひっくるめたさゆみんが大好き。

 

9.世界はシャボン玉みたいだ[Inst]
世界はほんとに失われやすい。何もかも。今こうしてここにいること、再び出会えたことが、どんなに儚くて、しあわせなことか。

 

10.子守歌のように時間が流れる[Inst]
この曲こういうタイトルだったのか。卒業してからの2年4ヶ月、道重さんがこんな風にゆったりとした時間の流れを過ごせていたのだとしたらすごく嬉しい。

 

11.true love true real love(とぅるらとぅるりら)
楽しくなったり、切なくなったり、心が動くごとに、あぁ道重さんが帰ってきたんだなぁという実感が湧いてくる。
あぁ...やっぱり泣き崩れてしまった。(家でよかった。)なんでこの人のことこんなに好きなんやろう。

 

12.あがるあがる
泣き崩れているわたしに手を差し伸べてくれるような曲。下を向いてたらもったいない。ちゃんと目を開いて見ていこう、さゆみんのいる世界を。

 

13.わたしの答え
歌い出し、いろんな人を思い出した。道重さんの揺るぎのない強い眼差しが、何があっても大丈夫だと言ってくれているようで、救われた。
指を鳴らすとき、下斜めに目線をやる首筋に光る汗、横顔がこの世のものと思えないほど美しかった。わたしの、道重さんの答えの先で、こうして再び出会えてほんとうによかった。


14.シャバダバ ドゥ〜
あの日のピンク色の景色と、この日とは地続きだったんだということを、ここで初めて思った。ステージに引き込まれていて、別の惑星に来たような気持ちだった。ここにいるみんなの、それぞれの長い旅路を思う。ここにたどり着けて良かったね。

 

15.歩いてる(updated)
この曲が歌われた、いくつもの場面が重なる。そこに、また新しい1ページが加わった。ほんとうに思いもよらなかった。これからも、もっともっと重ねていけるのかな。生きててよかった。生まれてきてよかった。

 

CD♪♪♪|道重さゆみオフィシャルブログ「サユミンランドール」Powered by Ameba

(リンク挿入、、、してみた。)

不定期連載 さゆみんとわたし 第20回「さゆの小部屋 PART.3」

さゆみん、こんばんは!

今日2017年3月25日が、わたしにとって再生の日になりました。

 

その前に、1つ目のありがとうを。道重さんに会いにいけることが決まってから、いつもなら落ち込みそうな場面でも不思議と力が湧いてきて、前向きに乗り切ることができました。たとえば君がいるだけで心が強くなれること。です。まさに。

 

2つ目のありがとうは、東京めっちゃ楽しい!です。そこかい!と思われるかもしれませんが、自分にとって大きなことでした。秋葉原ハロショや、銀座の歩行者天国や、歩いてるだけでなんかわくわくして。道重さんを好きな気持ちが、こうしてまた知らなかった景色に連れて来てくれたことが、何より嬉しかったです。

 

3つ目のありがとうは、再びステージに立つことを選んでくれたことです。お互いの選択の先で、再会できたこと。会えなかった時間も、信じる気持ちでずっと繋がっていたこと。この未来にたどり着けた自分を、今日ばかりは少し誇らしく思えました。

 

公演が終わって、なんかもう東京駅までウワーっ!!て叫びながら走りたいぐらい嬉しくて、みんなを大好きやなぁって思う気持ちがこみ上げて来て、そしたらまた泣きたくなってきました。半泣きで歩いてると視界に新丸ビルが見えて、今日の記念にあそこで腕時計を買うのが名案に思えてきました。幸い自分のイメージにぴったりなのがあって、早く決めすぎて店員さんが少し戸惑っていました。今日からの時間を重ねていくための時計。そこからハイになってしまって、寿司を食べました。

 

アキバ行って銀ぶらして道重さんに会って、時計買って寿司食べて。どうですか、絵に描いたような浮かれ具合。

でも、たった一度の人生、悔いのないよう楽しもうということを、今日の道重さんをみて思ったんです。

 

生まれてきてよかった。

そんなふうに思える日をありがとう。

2年4カ月分の氷を、大きな愛で溶かしてくれてありがとう。

その中身が愛であることを、教えてくれてありがとう。

まだまだありがとうは尽きないけど、わたしもわたしの再生の物語を、ずっとずっと続けていこうと思います。

 

SAYUMINGLANDOLLに関する考察~写真集『Sayuminglandoll』を中心として~

はじめに

再生がすぐそこに近づいた今、ふと疑問に思うことがありました。

「SAYUMINGLANDOLL」って、どういう意味なのか。

公演名にもブログのタイトルにも起用されるほど、道重さゆみ(以降、さゆみん)にとって重要な意味を持つであろうこの言葉について、これまで自分が驚くほど無知でいたことに気づき、その手がかりを写真集『Sayuminglandoll』(2011年 ワニブックス)に求めてみることにしました。

尚、筆者のファン歴の浅さ故、検証に誤りのある可能性があることをご容赦くださいますようお願い申し上げます。

 

1.SAYUMINGLANDOLLとは

SAYUMINGLANDOLLの意味について、写真集発売当時のインタビューに以下の通り記述があります。

「わたしのあだ名の『さゆみん』と『ランド』と『ドール』をかけているんです」

「わたしはファンの方に『さゆみん』って呼んでほしいのですが、『しげさん』とかわいくないあだ名で呼ばれている。呼んでほしいあだ名が入っているのでうれしかったです」(*注1)本人考案の造語なのかについては明らかではありませんが、さゆみんの世界観が、この「SAYUMINGLANDOLL」という言葉には見事に集約されています。

まず「王国」について考えた時、さゆみんのふるさとである宇部のことが思い出されました。無人駅、ときわ公園、遊園地、空港、工場の煙突。道重家の末っ子として愛情を注がれた原風景。

次に、第二のふるさととも言えるハロー!プロジェクトについて。アイドルファンから「帝国」と称され、今も脈々と受け継がれる膨大な歴史。2012年のブログには、自らを「姫」とする文献も見受けられます。(*注2)

そのふたつの王国において、さゆみんは姫であろうとしたのではないでしょうか。

 

続いて「お人形」について。

パーソナルブック『Sayu』(2014年 ワニブックス)の中で、さゆみんは人形のコレクションを取り上げて紹介しています。

ここで着目したいのは「これは全部お母さんの趣味です。お母さんが持ってるものって全部可愛いので、私もすぐに好きになっちゃうんです。」という発言です。さゆみんの「かわいい」という概念の形成に、お母さんが大きく影響していることが伺えます。

そんなお母さんが、さゆみんにも可愛い服装をさせたかったであろうことは容易に想像ができますし、そのお人形役を、おそらくさゆみん自身も楽しんでいたのではないでしょうか。

さゆみん、王国、お人形。

これらのルーツが、SAYUMINGLANDOLLという言葉(というより、ひとつの思想)の根底に流れているように思います。

 

2.写真集『Sayuminlandoll』にみる道重さゆみの「かわいい」進化論

ブロンドヘアーのポップな女の子。60's風なレトロガール。毒のあるアリス。白と黒の世界。この写真集に写っているのは、本人すら知らなかった「さゆみん」の姿です。

先述のインタビュー(*注1)の中で、「これまでも極度にかわいかったが、かわいさの幅が広がった」と話しているように、ここではある種の実験が繰り広げられていて、自分でありながら自分でないという客観性に、森村 泰昌さん(*注3)や澤田知子さん(*注4)のセルフポートレートを連想しました。

ナルシストキャラでブレイクして以降、王国の外側の厳しさを身をもって感じたさゆみんは、同時に、「アイドル・道重さゆみ」をお人形として切り離し、楽しむ術を習得していったのかもしれません。

また、さゆみんはアイドルかつアイドル好きの先駆け(*注5)としても知られており、とにかく「かわいい」への探究心が人一倍強く、それが故に生まれるコンプレックスも少なからずあると思われます。ナルシストキャラは単なる自惚れではなく、コンプレックスへの処方でもあるというのがわたしの見解です。(ハロペディアさんに既に同じことが書かれていました…。(*注6))

かわいいの探求者であったさゆみんが、体現者へと成長を遂げたのがこの写真集『Sayuminlandoll』であり、それは後に伝道者へと、さらなる進化を続けてゆきます。

 

3・おわりに~王国の再生~

モーニング娘。としての歳月を経て「かわいい」の伝道者となったさゆみんは、余すところなく使命を果たし、2014年、ステージを後にしました。

それからおよそ2年4ヶ月。再びわたしたちの前に姿を現してくれることを選択してくれました。

制約がまったく無いとは言い切れませんが、これまでよりかは自由のきく環境にあって、どんな「かわいい」を、わたしたちに見せてくれるのか。どんな理想の王国を築きあげてゆくのか。

何よりさゆみん自身が楽しいと感じられ、際限なく愛されることを、国民のひとりとして切に願います。

 

 

1)シネマトゥデイ 自称「極度にかわいい」道重さゆみ、お尻と足のショットをメンバーに大絶賛され「顔が映ってないのに……」と不満顔!(2011年11月3日 )

2)道重さゆみオフィシャルブログ サユミンランドール 「さゆみ姫」(2012年11月17日)

3)作品紹介「森村泰昌」芸術研究所

4)Tomoko Sawada web

5)道重さゆみのエピソード-ハロペディア アイドル好き

6)道重さゆみのエピソード-ハロペディア 世界で一番かわいい

 

参考文献

道重さゆみ写真集『Sayuminglandoll』2011年 ワニブックス

道重さゆみパーソナルブック『Sayu』2014年 ワニブックス

 
 

ぼくらが旅に出る理由

横浜でりななんのお別れの会があった昨日、息子を連れてウルトラマンの映画を観に出かけてきた姉は「ひさしぶりにCDを買った」とオザケンの新譜を見せてくれた。「球体の奏でる音楽の!」「そう!」

中学生まで二人部屋で過ごしたため、わたしの土台はほぼ姉の影響で培われている。ユニコーンピチカート・ファイヴフィオナ・アップルマイケル・ジャクソン、クイーン。

ただ、姉はオアシスが好きで、わたしはレディオヘッドが好きで。

姉は名前に月という漢字が入り、わたしの名前には日が入っているけれど、姉が陽で私は陰だといつも思っている。

 

東京でリリスクの現体制でのラストライブが行われた今日、あやちょの一日学芸員のイベントへ参加するべく、わたしは京都の「戦国時代展」へ出かけた。

わたしはあやちょのブログが好きだ。

あやちょのブログには、楽屋でメンバーとふざけて楽しかったことや、友達と出かけたこととなど、出来事と言うほどでもない出来事が淡々と綴られていることが多い。おばあちゃんと出かけたときのブログは、ほんとうに嬉しかったことが最後の「バイバイ!」ににじみ出ていて、こちらまで心があたたかくなった。

そういった、とりとめのないことを幸せだときちんと感じられる感受性や、日常に美しさを見いだせる審美眼に触れてみたくて、今回あやちょに会いに来てみた。

地元の駅の本屋で買った村上春樹の新刊を読みながら、阪急電車に揺られて烏丸へ。

14時からのギャラリー・トークに参加するにはあらかじめ展示を見ておかなくてはいけないので、お昼ごろに到着し、薄暗い照明に浮かび上がる巻物や焼き物や甲冑や刀、肖像画を見てゆく。誰があやちょのおたくさんで、誰が戦国のおたくさんなのか。どちらでもないわたしは、ここにいてもいいんだろうか。

毛利元就の着物に描かれた家紋が顔に見えてかわいいな、といった幼稚な感想しか抱けない自分へ後ろめたさを感じつつ展示室を後にし、イベント会場となる6階へ。

畳の間なので、靴を入れるためのビニール袋をもらう。握手会で荷物を入れるための大きな透明のビニール袋をもらうのとは違って、今日のそれはどちらかといえば神社仏閣寄りだ。待っている間、数名で構成されたおたくさんの輪が昨日のハロコン広島について雑談を交わしていた。アイドル好きというのは、電車に似ているなとよく思う。始発から乗っていたり、途中下車したり、乗り換えてきたり。何となく楽しそうだからと安易に乗り合わせてしまったわたしは最後列の端っこに落ち着き、持ってきた手帳とボールペンを用意する。

白いハイネックに、ラウンドネックの紺色のカーディガン、濃いオレンジのスカートを合わせたあやちょ。

学芸員の方の質問に間髪入れず全て「はい!」とハキハキ受け答えをし、分からないことは「ヒントお願いします!」と即座に助けを求める現・ハロプロリーダー和田彩花。潔く、見ていて気持ちがいい。

あやちょが戦国専門でないように、わたしはあやちょ専門ではないけれど、西洋画への興味からどんどん視野を広げていけるところや、知らないことを知らないと言える素直さなど、見習いたいなと思うところがたくさん見つかった。

 

大好きなマネや仏像の話になると、水を得た魚のようにぐんぐん話に広がりが生まれ、わたしもこんな風に自分の大切な、大好きなものを語れるといいなと思った。

三室戸寺というお寺に一体だけ洋風な顔立ちの仏像さんがいて「何でここにいんのー!?」と思ったというエピソードや、前に見た禅の展示会の印象を「ふにゃふにゃで柔らかい」と表現したり、借りものの言葉でないから伝わるのか、ということも学んだ。

コールも推しジャンもなく、良い聴講だった。あやちょにとってのアイドルは仏像さんだからか、と妙に納得した。

 

土地勘の無いなかでほとんどやけになりながら、次の目的地を目指す。一度行ってみたかった絵本屋さん、メリーゴーランド京都店。

がんばって来てよかったな、と到着して1分もたたないうちに思った。

大好きな中川宗弥さんの絵本を2冊買った。となりの展示スペースで行われていた、ひろせべにさんの個展もすごくおもしろくて、元気をもらった。あやちょの真っすぐさが、わたしをここに連れてきてくれた。

 

京都から大阪への帰り道、思えばいつもどこかへ移動していることに気づいた。

Perfumeももクロエビ中リリスク、道重さん。

アイドルに限らず、どれか一つ出会いが欠けるだけで、この旅は違ったものになっていた。

 

ぼくらが旅に出る理由は、ほんとうにあるんだろうか。

その理由を見つけることこそが、ぼくらが旅に出る理由なのかもしれない。

喜びと悲しみに、今はただ手をふることしかできなくても。

不定期連載 さゆみんとわたし 第19回「道」

物の弾みで取ってしまった舞台のチケットを手放すことも出来ず、日曜日に東京へ行ってきた。

せっかく行くなら、と入り組んだ路線図と夜な夜なにらみ合いをした結果、新大阪を出たのが朝の7:50。

新幹線の車内の文字盤に流れる、…ノーベル賞授賞式ボブ・ディランさんは...欠席

やっぱりかぁ。

走り去る景色の中に富士山のお出まし。鎮座されてる。山頂は白く雪が積もっていた。うとうとし始めたころ、東京到着。

 

浅草

平静を装いつつ山手線で神田へ、東京メトロの銀座線に乗り換えて浅草へ。

当然みんなエスカレーター左に立つし、関東弁。なんというか、シュッとしてる。 あ、シュッとしてるって伝わらんのかな...。ロスト・イン・トランスレーション。スカヨハちゃん。映画まだ見てないけど。。

などとぼんやり人の流れに身をまかせ、歩いている内に雷門が現れた。

これこれ。ちゃんと着いた。

浅草には小学生のころ家族で一度来たことがあって、家にある写真も今みたいに人でいっぱいだった。

仲見世通りを歩く心のBGMはもちろんこの曲

www.youtube.com

Forever...

 

路地からスカイツリーが見えた。初めて見た。通天閣みたい、と咄嗟に思ってしまって何だか申し訳ない気持ち。

本堂に近づき、視界に入る「みくじ」の看板。あぁ、みくじ・・・!

先にお参り。少しためらった後、これ下さいと、ピンク色のお守りを頂く。

お参りを済ませ、さあ本題。「みくじ」の周りをうろつく。同じのどこやろう。

f:id:iixviiiv:20161212233118j:plain

ここかぁ!

どんな風にこの景色が映ったのかなと、あたりを見渡して。

どんな思いでこれを引いたのかなと、銀色の六角形の筒を振って。

 

みくじの結果は、、、

f:id:iixviiiv:20161213194832j:image

 

 

・・・・・・・・・吉かいっ!

けれど、読んでみるとその意味がすとんと理解できた。道重さんが再生した今、わたしの運命は吉に決まってる。

春になればようやく運が向いてきましょう、と書かれてあって、それだけでもうここへ来た甲斐があったなぁと思えた。

天気も良く、めっちゃ吉やわぁと呑気にお土産を見ながら歩き、次に目指す花やしき方面が真逆なことに気づいたのが雷門を出てから。

お忘れかと思いますが、そもそも舞台を見に来たので13時には渋谷へ着いていなければならず、しかし、さゅぇりヲタとしては花やしきを見て帰りたい。今度いつ来られるか分からんし...。

真っ黒なバンの車上で演説する右翼、それを写真におさめる観光客、人力車の勧誘、などなどを尻目にぐんぐん歩く。

f:id:iixviiiv:20161213000942j:plain

花やしき周辺は人通りも少なく、昼間から呑んでいる人がいて、新世界に似てるなぁと少し落ち着いた。知ってる雰囲気。今度来るときはだれか誘ってもんじゃ食べたいなぁ。

f:id:iixviiiv:20161213020033j:image

 

渋谷

とりあえず第一ミッションはクリアしたので、急いで渋谷へ。

つくばエクスプレスというのに乗って、(TXってエクスプレスの頭文字Eやけど、ここはあえてXなんやな、たしかにTEよりTXの方がシュッとしてるし...)秋葉原で再び山手線に乗り換えて渋谷へ。

今日めっちゃ電車乗る。階段降りたり登ったり。きっともっとスマートな移動方法や、お得なチケットがあるんだろうと思う。とにかくGoogle先生の指示に従い、ちまちまと切符を買う。

ハチ公、交差点、109。テレビでよく見るやつ。自分がなぜここにいるのか不思議。

TSUTAYAの正面でPPAPのCDが叩き売りみたいに売られてる。寅さんや。

PPAPはよく知らない。

f:id:iixviiiv:20161213003622j:plain

ここの見てみたかったなぁ。2年後の今はEXOに染まってる。EXOは知ってる。

再び平然を装い、シアターコクーンを目指す。交差点渡って斜めにまっすぐ行けばいいって昨日大阪の友だちに教えてもらった。

お昼ご飯は食べそびれた。寒さと空腹。

f:id:iixviiiv:20161213004100j:plain

双眼鏡を忘れたから、それが虹郎くんと分かるまで少しかかって、分かってからは、声がいいなと思った。 話は正直よく分からなかったけど、KYON2の喫煙シーンや、舞台の美しさは鮮やかに残像が残ってる。帰宅してから「観劇を10倍楽しむ方法」みたいなまとめをいくつか読んで、あらすじを知ってたほうが良かったのか、と思った。

あまり良い観客とは言えなかったな、と申し訳ない気持ちでそそくさと渋谷を後にしたのが17時前。

寒さ、空腹、睡魔。←NEW!

しかし、わたしにはまだまだ行くところがあって。

 

武蔵小山

山手線で目黒まで、そこから東急目黒線に乗り換えて武蔵小山へ。ほぼ住民しか降りない駅。

やってきました武蔵小山商店街パルム!

はるばる大阪から来たのが ほんとうにここで良かったのか。不安とともに歩き進め、商店街の終わりが見えてきたその時、、、

f:id:iixviiiv:20161213012608j:image

さぼてん!

ロケが行われたのはわたしが歩いて来たのと逆方向からだったのか。

f:id:iixviiiv:20161213014241j:image

よく考えると放送から6年以上は経つので、もちろんいくつかのお店は変わり、工事中のところも多かった。

f:id:iixviiiv:20161213014256j:image

ミディトマトの八百屋さん、サルビアモンテネグロのお花屋さんが今もあって良かった。 

さゅぇりはどこへ行ってもすごく楽しかったんやろうな。隣にお互いがいること。同じものを見て笑いあえること。

 

六本木

いよいよ最後のミッションへ。

ここがいちばん苦労した。ROPPONGI。

(わたしの思う東京は真・女神転生の影響を大きく受けています。)

無事に東京ミッドタウンに着いたものの、どれがミッドタウンなのかさっぱり分からず。この建物?この辺り一帯?

人についていくとイルミネーションが何やら凄いエリアに出て、群衆の中で外国人が「TOSHIBA」と言っていた。やっぱ東京すごいなぁ。

それで、ツリーはどこ。

ぐるぐる歩いても見つからず新幹線の時間も近づいて、結局、案内の人に聞いてみると地図を広げて教えてくれた。

f:id:iixviiiv:20161213222556j:image

ツリーは想像よりこじんまりとしていた。

ここやね、山木さん!

 

キラキラした都会。

浅草、渋谷、六本木。この東京が、道重さんの生きている場所。

こんなにたくさん人がいて、わたしの好きな人はここには一人もいない。今日1日だけでもホームシックになってしまったけど、道重さんはこの街が好きかな。宇部と同じくらい、もしかしたらそれ以上に多くの思い出が息づくこの街を。

 

出会いを重ねるごとに、道はどんどん増えていく。

道重さんを好きな気持ちが、わたしをここへ連れてきてくれたみたいに。

どこへ続いていくのかは分からないけど、今はそれが素直に楽しみだ。

 

不定期連載 さゆみんとわたし 第18回 「再生」

美容室から出てすぐさまスマホを見ると、道重さんのブログの更新を告げる新着メールが届いていました。

「いちから」という4文字から放たれる、まっさらな白い光。そう、ピンク色じゃなくて。

来年の春ごろ。新しい感覚のパフォーマンスって何なんだろう。あと半年で、わたしは何をしよう、良い状態で会いにいけるようにしたい。

そう思うと自転車のペダルを漕ぐ足に力がみなぎり、雲ひとつなく晴れ渡った空はどこまでも澄んで、いつもの町の景色も輝いて見えました。

クリスマス、お正月、そして春。

こんなにも明日へ、未来へ、希望を持てるのはいつ以来だろう。

こみ上げる嬉しさがゆっくりと自分のすみずみまで沁み渡っていくのを感じました。

 

家に着いてすぐ、何かに駆り立てられるかのように部屋の片付けをはじめました。

見慣れた本を改めて手に取ってみると、特に読み返しもしないのに何でずっと大事に置いてたんかな、と思うものがほとんどでした。確かにどれも思い入れがあったり、深く心を動かされたものではあるけど、それはもうそこで役目を果たしているから手放していいんだ、ということに気がつきました。

どんどんと本棚は空き、その中で残ったものは、自分にとってほんとうに必要なものが何かということを教えてくれていました。

 

ついに迎えることができた「いつか」は、想像していたよりずっと穏やかなものでした。

常盤駅から見た、きらきらと光る海のように。 

 

光を取り戻した世界が、静かに再生しはじめる。

 

さゆみん、おかえり。