今会えないアイドル
2014年11月26日、横浜アリーナ。
人でごった返したロビーから会場に入り、自分の席を確認したわたしはまず、向こう側の関係者席を見上げました。
亀井さんの人生と、今日ここで初めて重なるかもしれないこと。
それは、道重さんの卒業をこの目で見届けられるのと同じくらい大きな意味のあることでした。
結局、姿を確認することはできませんでしたが、あの日きっと同じ空間を共有できたんだと思えることは、これからの自分への大切なおみやげになりました。
現役時代を知らないわたしが亀井さんについて知っていることは、すべて残像にすぎません。
それでもなぜここまで心を惹かれるのか、これまでの研究結果をまとめてみることにしました。
卒業しても尚、わたしのような新規ファンを生み出してしまう亀井絵里という不思議なアイドルについて。
亀井絵里になりたい
「AKBの頂点にいるよりも亀井ちゃんになりたい」
後にこう語ったという指原さんが1日100回ブログ更新に挑んだ頃、わたしは指原クオリティーの読者でした。
振り返るとそれが2010年12月4日。亀井さんの卒業が12月15日。
もう少し早く出会えていたら。当時の自分をグーで殴りたい…。
と、思わなくもないですが、そしたら道重さんのファンになれていなかったかもしれない...と、どうしようもない思惑だけがぐるぐる回ります。
亀井さんのことを知っていくうち、わたしも心から思いました。「亀井絵里になりたい」と。
小さい子が将来の夢を語るファンシーな感じでは無く、切実に。
顔が、声が、性格が、という部分的なものではなく、亀井絵里そのものになりたい。
んなアホなと思われるでしょうが、それは指原さん、譜久村聖ちゃんはじめ、亀井絵里に惹かれたすべての人がたどり着く境地ではないかという気がしています。
なれないことは分かってるんです、みんな。
それでもこんなことを言う理由を自分なりに考えてみると
「亀井絵里になりたい」というテーゼは「亀井絵里になれない」というアンチテーゼと対をなし、それらが呼応して「亀井絵里はすばらしい」という真理に、より高いレベルで到達させてくれるからではないか、と思うに至りました。(※図1)
亀井絵里になれないわたしたちに、ここであえて提唱したいと思います。
「亀井絵里になろう!」と。
☞参考
そうなんだよ亀井なんだよ
数ある亀井語録の中で、亀井絵里らしさがもっとも顕著に表れている、というより、わたしが大好きなのが「そうなんだよ亀井なんだよ」です。(※資料①)
【資料①】
全く意味がわからない。
でもそれでいいんです。
なぜなら、亀井だから。
正解というのは、自分がそう信じられるかどうか。(※資料②)
【資料②】
大事なことは理屈じゃないということを、わたしは亀井さんに教わりました。
☞参考
ちゃんとした名言集
落ち込んだときよく見る動画。先述の「降水量(ふりそそぐりょう)」はじめ、迷解答のオンパレード。 ノノ*^ー^)「これは...だて...まさむねでしょ...。」 ご名答えりりん、かっこよすぎてシビれる。
友
そもそも亀井さんの存在がわたしの中でこれほど大きくなっていったのは、彼女が道重さんの親友だったからに他なりません。
映画『ティファニーで朝食を』の劇中歌「Moon River」に登場する”My Huckleberry Friend”という言葉は、道重さんにとっての亀井さんのような友を意味しているのかなと思います。まるちゃんとたまちゃん。カンパネルラとジョバンニ。えりとさゆ。
道重さんだけでなく、他のメンバーにとっても亀井さんは大切な友でした。と、過去形にするのは間違いで、卒業後も度々メンバーのブログに名前が挙げられることからも分かるように、きっと今も大切な友であり続けていることと思います。
決して面倒見がいいわけではないけど、亀井さんがそばにいるだけで何倍も強くなれる。好きな自分でいられる。
伝わらないの覚悟で例えてみると、FF7でいうところの支援マテリアのような。
頼まれてもいませんが、説明してみます。
装備品には「マテリア穴」という穴があいていて、ここに「マテリア」という玉みたいなアイテムをセットすることで魔法が使えたりします。(※資料③)
【資料③】
〇=〇 ←こんなふうになってるのは「連結穴」で、例えば
魔法マテリア「かいふく」に「ぜんたいか」の支援マテリアを連結すると、
「かいふく」+「ぜんたいか」=「ぜんたいをかいふく」
といったように、仲間全体を回復できます。
説明が長くなりましたが、「自分」というマテリアの、もう片方に「えりりん」という支援マテリアが連結すると、思いがけない能力を発揮できる気がするんです。
昨日できなかったことも、今日ならできるかもしれない。
今日できなかったことも、明日ならできるかもしれない。
そういった類の元気をくれる亀井さんは、多くのファンにとっても”My Huckleberry Friend”と言えるのではないでしょうか。
☞参考
おわりに
推敲を繰り返すこと約1ヶ月、亀井さんについて思いを巡らせました。この文章によって何かを伝えたいというより、ただ単に亀井絵里という存在に向き合っていたかったのだと思います。
単純な「好き」とも違うその感情を何と呼べばよいのか、今はまだ見つかっていません。それは、道重さんに関しても同じです。
自分の辞書にない言葉を求めて。
うさぎと亀をめぐるわたしの冒険は、これからも続いてゆきます。