やなみんの卒業まで、あと1ヶ月を切った。
3月12日以降の自分の身の振り方が全く見えない。カントリーを箱推し(という言葉がハロヲタにも流通しているのかは分からないけど)していくべきなんだと思うけど、「べき」という言葉が出てくる時点で、正直なところではないんだろう。カントリーのことはもちろんかけがえなく思っているし、見守っていきたい。けど、そこに自分は居なくてもいいな、と思う。わたしはあくまで、やなみんの居る空間に出来る限り身を置きたかった。
卒業ついては、発表のあった30分前にツイートしたことと考えが変わっていないことを、読み返してときどき確認する。
とはいうものの、個人的にはいつ卒業がきてもいいと思っています。いつか来るその日を憂い、好きになりすぎないようブレーキをかけるのはやめました。惜しみなく一方的に愛情を注ごうと。それが生きるってことだよね。重くてごめんね? pic.twitter.com/24DYrdQ9Sk
— shoko.m (@IIXVIIIV) 2018年11月2日
やなみんが自分自身で判断したことはそれが正解だし、全力で肯定したい。それがちゃんと正解になるように。だからとても苦しい。つまりそれは、このまま活動を続けることがやなみんにとって正解ではないということだから。
去年、道重さんが観たという理由で『シュガーラッシュ オンライン』を観に行って、途中から主人公の二人に自分とやなみんとを投影してしまい、とても切なかった。(何を見聞きしても、すべてやなみんに繋がってしまう。)結局やなみんが自由に生きていけることが、わたしにとって今いちばんの願いだなと思う。
やなみんなら大丈夫。問題は自分。
昨日、握手会のあとに入った本屋さんでカレーを食べてから、持ってきた本(お姉ちゃんの家から借りてきた)の続きを読んでいると、いちばん最後に、こうありたいと思うことがそっくりそのまま書かれていた。
たぶん卒業してからも、見ていない映像をみたり、どっぷりと梁川依存していく日々になるだろう。それが、今の私らしさだから。
少しだけ楽しみな気持ちもある。やなみんのくれた自由さが、今度はわたしをどこに連れて行ってくれるのか。なぜこんなにも大好きになってしまったんだろう、という答えを探しながら、たくさんの思い出を引き連れてどこへ向かうのか。
悔いのないように。
惜しみなく、一方的に愛情を注ぐだけだ。